Legend of Rene Herse


シアトル近郊で長距離を走るうちに、私たちは当時の流行だったロードレーサーとは異なるバイクの必要性を感じ取りました。私たちのドリームバイクは、レーシングバイクの走行性能をもち、かつ、冒険的なシチュエーションにも対応するバイク。ドリームバイクは存在しないのか…そんなとき、創始者であるヤン・ハイネは、ミッドセンチュリーのライダーたちから、インスピレーションを得ました。彼らは、当時の決してスムースとはいえない路面状況においても、走りにおける速さやパフォーマンスの追求をしていたのです。
彼らを通じて出会ったのが、フレームビルダーの「ルネ・エルス」でした。航空機の開発にも携わっていたルネ・エルス。彼は航空機の技術をバイクパーツの開発に導入した、いわばモダンバイクのパイオニアでもあります。1938年、彼が初めて作ったバイクは重量たったの7.9kg。それでいて、泥除け、ライト、ラックやワイドタイヤを備えていました。それはまさに、私たちが欲していたバイクの機能と性能そのものだったのです。

2003 年のパリ・ブレスト・パリでは男女混合タンデムの最速記録(52時間45分)、2007年にはアメリカ人としての最速記録(49時間59分)で完走したヤン・ハイネ。このことがきっかけとなり、ルネ・エルスの娘であり8度の自転車ロードレースのナショナル・チャンピオンに輝いた、リリー・エルスと親交を深めました。リリー・エルスと、その夫であり工房をルネから引き継いだジャン・デュボアはルネ・エルスの真髄、そしてバイクそのものやコンポーネントはどうあるべきかを私たちに語りました。そしてある日、リリーはヤンにこう尋ねました。「ルネ・エルスの名前を私たちから買って、未来へと継承していく気はない?」。こうして今日、ルネ・エルスを継承することとなった私たちは、彼の培った智恵を活かし、現在のサイクリングシーンにマッチするコンポーネントを発表しています。

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